同じ音を受け取っていても
「話は聞いていたはずなのに、あとで内容を思い出せない」という経験は誰にでもあります。耳は働いていた。相槌も打っていた。それでも残っていない。
逆に、何年も前にしてもらった会話を、細部まで覚えていることがあります。特別なことを言われたわけではないのに、あのとき自分は確かに受け止められた、という感覚だけが残っている。
この差は、聴き手の集中力の差ではありません。聴いている最中に、聴き手の意識がどこを向いていたかの差です。
「聞く」が起きているとき
聞いているとき、聴き手の意識は自分の内側を向いています。相手の言葉を受け取りながら、同時に自分の中で処理をしている状態です。
この話は自分の知っているどの話に似ているか。事実関係はどうなっているか。次に何を言えば会話が続くか。相手の主張に賛成できるか。自分だったらどうするか。
どれも自然な働きで、悪いことではありません。会議で議論するとき、判断を求められているときには、この処理こそが必要です。
ただ、この処理をしている間、聴き手は相手の隣ではなく、自分の側に立っています。相手が話し終える前に返答が用意されているのは、そのためです。
「聴く」が起きているとき
聴いているとき、聴き手の意識は相手の側にあります。この人にとって、いま何が起きているのか。その出来事は、この人からはどう見えているのか。
評価も分類も、いったん保留されています。賛成か反対かを決める作業を止めているので、判断のための情報を集める必要がなくなり、相手が実際に言っていることをそのまま受け取れるようになります。
結果として、話し手の側にも変化が起きます。判断されないと分かると、人は整理されていないことも話せるようになる。まだ言葉になっていなかったものが、話しながら形になっていく。
アクティブリスニングが「積極的」と呼ばれるのは、この状態が受け身ではないからです。黙って座っていれば起きることではなく、意識的に自分の処理を止めておく作業が要ります。
自分がどちらをしているか、見分ける
会話の最中に、自分の内側をひとつだけ確認してみてください。「いま、次に言うことを考えているか」。
考えていたなら、そのとき聴き手は自分の側にいます。相手の話はまだ続いているのに、意識は返答の準備に移っている。これは能力の問題ではなく、誰にでも起きることです。
気づいたら、考えるのをやめて相手の言葉に戻る。それだけで構いません。何度でも戻ってよく、戻れた回数が増えていくことが上達です。
この「気づいて、戻る」という往復こそが、自己一致と呼ばれる状態の入口でもあります。
今日から試せること
- 相手が話し終えてから、一呼吸おいて話しはじめる
- 「つまり」で要約する前に、相手が使った言葉をそのまま一度返す
- 質問を思いついても、すぐには挟まず、話の区切りまで持っておく
- 会話のあとで、相手が何を感じていたかを一文で書いてみる
どれも簡単に見えて、実際にやると難しいものばかりです。難しさを感じたなら、それは聴くことが技術であることの証拠でもあります。
Next Step
「聴くが当たり前にある社会」を、一緒につくる仲間へ
ご質問、取材のご相談、資格制度について詳しく知りたい方は、こちらからお進みください。